津軽の地酒の歴史
青森りんご歴史伝承家 木浪真由美です。
青森県の地酒の歴史を調べ、りんご産業や当時の経済情勢と照らし合わせまとめてみました。
【戦後の日本酒事情】
戦後の物がない時代、町の酒屋(小売店)は日本酒の4斗樽原酒が手に入るとこれを3倍に薄めて、醸造用アルコールと甘味料を足し、日本酒風のものをこしらえ売ったといいます。
まがい物でも不味くなければすぐ売れる。むしろそのブレンドの腕前を競うのが、当時の酒屋の力量でした。これは津軽地方の話であり日本全国の話でもあるのです。
【昭和30年代青森県の酒蔵】
昭和30年代、戦後の復興から高度経済成長期へ、日本酒はどこの蔵でも作ればすぐに売り切ったといいます。
当時、青森県内の酒蔵は50数軒。黒石酒造組合加盟登録酒蔵は8軒。黒石市の鳴海醸造店、中村亀吉、元町佐藤酒造、前町宇野酒造、山形町佐藤酒造。平賀町の大川酒造、尾上町の寿酒造、正井酒造。しかし今では、8件の内黒石市の鳴海醸造店と中村亀吉の2つしかありません。
【弘南酒造株式会社】
一方、その頃弘前には弘南酒造株式会社が存在し、弘前市及び南津軽郡管内の酒蔵に納品させ、
同じ銘柄で北海道にて販売。酒蔵全部の原酒を混ぜて瓶詰したのかと思いきや、製造工場名は明記していたとの事。買う側は、製造工場を見て好みの蔵の酒を買っていたそうです。
一方この時代、北海道で栽培されていた酒米はまだ寒冷気候に弱く、良い酒をつくる事がなかなかできません。それ故、津軽の酒は北海道で人気でした。特に函館の酒販組合は津軽の酒蔵の社長さん達を道南の温泉や浅虫の旅館に招待してご馳走し、お酒を納品してくれるよう頼みます。
しかし、次第に悪さをする蔵が出てきて混ぜ物し、どんどん不味くなって買い手がつかなくなり、とうとう悪い事をしなかった数社だけが売れ続けたのだそうです。
この結果、津軽の酒の信用はがた落ち。一方徐々に寒冷地でも良く育つ酒米が穫れるようになってきて道内の酒蔵も美味しい酒を造れるようになりました。
更に北海道税務所が、北海道では北海道の地酒を飲むよう推奨した為、これがきっかけとなり津軽の酒蔵は北海道という商圏を失うのです。
【販売先を求めての苦難】
そこで、津軽地方の酒蔵は、人口が多く人の往来の多い、青森市内の小売店に販売してもらおうとしました。しかし時すでに遅く青森市内の商圏は全国区の灘か京都・秋田の酒蔵が握っていたのです。
青森駅に着いた人が駅前広場に出ると、目の前に現れる沢山の大きな日本酒の看板。白鶴、剣菱、菊正宗、月桂冠、高清水、福禄寿など灘や京都・秋田の看板が多かったとか。
これには、昭和30~50年にかけて、冬になると多くのりんご農家が東京大阪に出稼ぎに行き、大手酒造会社の日本酒の名前を覚えて帰って来た影響も大きいと言います。つらい出稼ぎから帰り、知名度が高い都会で飲んだ酒の名前を田舎で披露する事が優越感だったかもしれません。
津軽地方の酒蔵のお酒は、酒蔵周辺の人達が飲んでくれなければ売る先がないのに、多くの津軽の人達は地元の酒を飲もうとはしませんでした。(逆に生き残って来た酒蔵は地元に愛されたといえるでしょう。「黒石地酒をたしなむ会」はこの頃発足したのです。)
【ウイスキーブーム】
そこに追い打ちをかけたのが、ウイスキーブームです。ボトルキープというシステムが生れ、スナックや高級クラブに自分の名前の付いたウイスキーを棚に置く事が、サラリーマンのステイタスとなりました。高度成長期の景気が良かった時代です。ウイスキー業界は販促品と称してグラスとアイスペール水差しなど無料で配り、水割りを飲むコマーシャルを流し、ウイスキー売り上げをどんどん伸ばししていきます。
とうとうこのやり方を日本酒の聖地であった寿司屋にも提案、すしにウイスキーを合わせるという時代を作りました。今ではすしになんでも合わせますが当時は驚愕的な事でした。もちろんりんご農家もウイスキーを飲んだでしょう。
【スーパードライブーム】
日本古来保存が目的で塩蔵されていた食品も冷蔵庫で保管できるこの時代、日本人の食生活は減塩が推奨され始めました。この味わいに合わせビールのタイプも甘くて苦いものより、スッキリ辛口なドライタイプが大ヒットします。私も初めて飲んだ時その刺激的な辛さに感動したものです。
【地酒ブーム】
そんな中、ある日本酒が注目されます。新潟の越乃寒梅でした。それまでの日本酒に比べ端麗辛口飲み口軽く、次の日に残らないという事で、サラリーマンの間で火が付き定価の3倍の値段でも売れたそうです。この頃のサラリーマンは「24時間戦えますか」の流行語があったほどよく働き、よく飲みましたのであっという間にブームになります。
その後に続けと造られたのが久保田でした。こちらもすっきりとした辛口。
そこで少しずつ人々は考え始めます、うまい酒は地方にあるのではないか?この時初めて「地酒」という概念が生まれたのです。
その都会で起きたブームに入っていった全国の地酒の数々。
【吟醸酒ブーム】
2000年代にはフランス料理に吟醸酒を合わせるソムリエも現れ、多くの場面でおしゃれに飲まれるようになりました。香り華やかな吟醸酒はフルーツの香りをイメージさせる為、女性にも人気となっていったのです。こうして再び、地元の人達も地酒を愛する時代になりました。
【終わりに】
私も日本酒を飲むようになり、利き酒師の資格を取るため、講座に通い出したのもこの頃でした。それ以来、日本酒の製造工程の複雑さに敬意をはらい、純米大吟醸から山廃、古酒の人肌燗などの個性豊かな日本酒の魅力にはまり、津軽の伝統料理や日々のお惣菜に合わせて地酒を選び、テロワールを楽しむ毎日を過ごしております。
参考書籍:
グラフ青森『青森の暮らし』424号18・19頁
その他当時酒販業界にいらした方に取材した内容です。
2026年9月 青森りんご歴史伝承家 木浪真由美
創業文化三年、津軽の風土が醸した希少な美酒の数々を。
青森の地酒 菊乃井 稲村屋文四郎 稲村屋
株式会社鳴海醸造店
杜氏兼社長 鳴海信宏
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