令和6年黒石市市制施行70周年を記念して鈴木徹さんから歴史講座を拝聴させていただきました。鳴海醸造店の創業は文化3年(1806)江戸時代の後半であります。黒石藩の成立は文化6年(1805)という近い年代です。
黒石藩になる過程として文化2年(1805)に津軽藩が、蝦夷地警備を担当した功績により領地高7万石になる栄誉を幕府から受けている。さらに、同5年に幕府は弘前藩に東西蝦夷地の恒久的警備を命じ、津軽藩を10万石に高直りさせた。
とあります。
明治時代の黒石
明治2年6月23日、弘前藩12代藩主津軽公昭は弘前藩知藩事に任命。明治2年8月13日、黒石藩4代藩主津軽承叙は黒石藩知藩事に任命。明治4年7月14日、廃藩置県によって黒石藩が廃止され、黒石県が設立。明治4年9月4日、弘前県、黒石県、八戸県、七戸県、斗南県、館県の6県が統合→弘前県(北海道松前県)。明治4年9月23日、弘前県を青森県と改称し、本庁の青森移転が発令された。
明治4年(1871)9月23日の青森県
明治4年(1871)9月23日の青森県です。黒で塗られている場所です。現在の青森県より岩手県の二戸の辺りや北海道の松前の辺りも含めて青森県だったのです。
廃藩置県以降
全国の藩が消滅して県が設立された。津軽領には、弘前藩、黒石藩、南部領には、八戸藩、七戸藩、斗南藩があり、これらの藩が県と名前を変え、県が設立。しかし、それぞれの県の財政事情から県を維持していくのは難しいことから6県が合併して弘前県が設立。
南津軽郡役所
南津軽郡役所の画像です。立派な建物です。上の部分は以前黒森山の浄仙寺に置かれていたそうで、今でも黒石病院近くの「株式会社つがる」さんの敷地にあるそうです。近くを通りましたらご覧ください。
明治20~30年代の黒石酒造界
明治29年から明治33年にかけて黒石酒造界が特出しています。中町は鳴海文四郎・盛栄作る・中村治六・佐藤豊五郎・花田専十郎。前町は宇野善造・福地幸八郎。山形町は山片和三郎・北山末吉・佐藤清助・太田倉之助。横町は中林清蔵・鳴海理兵衛。乙徳兵衛町は盛勇治。上町は工藤平次郎・館山幸之助・木村嘉太郎・大工町は小田桐甚作。元町は佐藤清十郎・中村善兵衛・清藤熊太郎・梅津又兵衛・北川勘助。境松は鈴木栄太郎。株梗木は高橋萬次郎・原田柳太郎・斎藤興助。
以上27蔵です。令和6年現在は2蔵のみとなりました。鳴海醸造店もそうですが前身は近江商人が酒造りをして広めたと言われています。理由は定かではないですが近江商人が米の調達をしに北上したともいわれています。
酒の銘柄
江戸時代の沢屋孫兵衛は「赤鬼」です。
明治時代以降、鳴海文四郎は「菊乃井」「七五三」・宇野善造は「清の松」・佐藤清吉は「玉泉」「君が代」・中村亀吉は「玉垂」・佐藤清十郎は「初駒正宗」「鬼笑」・福地幸八郎は「福泉」「福壽」・佐藤清助は「清泉」「玉鶴」です。
嘉永5年(1852)の前町・横町十文字
鳴海醸造店の所在する前町・横町十文字の四つ角には昔4つの造り酒屋がありました。これは鈴木徹さんの資料によると「前町・横町十文字の屋敷配置略図」(嘉永5年5月)によるものです。令和6年の現在で鳴海醸造店は「稲村屋文四郎」。現在のシェチカの花屋の場所近郊が「三上屋長太郎」。現在のcircleこみせの場所と盛家が「柳屋斎兵衛」。現在のやきそばすずのやの場所近郊が「池田屋太郎兵衛」です。昔の笑い話に十文字でお酒を少しずつ振る舞ってもらい酔っ払えると聞き伝えしました。
昔の中町
昔の中町です。「嘉永年間屋敷間数歩合下帳」の資料です。左側下に「稲村屋文四郎」と書いてあります。現在の「鳴海醸造店」です。左側上は「柳屋斎兵衛」と書いてあります。現在の「circleこみせ」「盛家」の場所です。寺山餅店の店主から昔は道路の反対側に店舗があったという話を聞きましたがこれを見ると納得します。あまりにも達筆で苗字くらいしか判定できません。現在国の重要文化財「高橋家」も高橋とあります。現在の松の湯交流館と西谷さんとの間には道路がありますが「サシニ」さんと大平さんの間には道路が無かったです。勉強になります。
関連する過去のアーカイブ
創業文化三年、津軽の風土が醸した希少な美酒の数々を。
青森の地酒 菊乃井 稲村屋文四郎 稲村屋
株式会社鳴海醸造店
杜氏兼社長 鳴海信宏
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